ミケ男 (mikeo)

1989年生まれのブロガー

繊細、貧乏、コミュ障、残念ブロガー(キャッチコピー考え中)

転勤族の家庭に生まれ大阪府、三重県、兵庫県で育つ

神戸市在住

不器用で失敗をたくさんするくせに、プライドだけは高い繊細な性格のせいか、たくさんの挫折やトラウマを重ねて生きてきました。

他人に心を開けない、居場所が無い、繊細過ぎて傷つきやすい、物事が続かない、自分に自信が無い、そんな悩みを抱え続けています。

中学校、高校と6年間帰宅部。猛勉強した大学受験に失敗、さらに就活でも失敗して引きこもりに。

100社以上落ちてやっと入社した会社の仕事が合わなさすぎて半年でうつ状態になり退職…

その後もたくさんの失敗と挫折を重ねて本当にどうしようもなく格好悪い僕ですが、とりあえず生きています。

僕が2015年から運営しているは『繊細さばいばる』は、仕事でボロボロになって、働けなかった引きこもり時代に軽い気持ちで始めました。

その中のある記事で「すごく役に立ちました」と感謝されました。こんな状態の自分でも人の役に立てことが嬉しくて救われる気持ちでした。

最近、ようやく1つの会社に定着できて人生のどん底を抜け出した気がしましたが、労働環境が急に変わり、そこで働き続ける気持ちになれずに退職。現在に至ります。(2018年8月)

等ブログ『繊細革命』は、とことん格好の悪いミケ男という人間の生き写しのようなものです。テーマや内容はすぐにブレるし、更新は不定期だし、知識も中途半端、ツイッターからは闇が滲み出ています。

でも、3年以上何かを継続できているのは、生きることとブログ運営くらいなので、自分に向いていると思い込むようにしています。

ミケ男のボロボロ職務経歴書

挫折だらけの人生をどうぞ!※平成22年の文章の最後は「内定無し」です…すいません。

下図はミケ男の経歴を表にしたものです。

 

赤い部分は引きこもりだった期間

青い部分は働いた期間

グレー部分は就職のために費やした期間

です。

大手企業の採用担当者様、どうですか?ヤバくないですか?

ブログ運営 3つの目的

現在、僕が運営するブログ『繊細革命』のなんとなくの目的です。

格好悪くてダメダメ過ぎるけど、それでも生きていることを伝えたい

僕のように格好が悪くても、生きている人がいるから、大丈夫だよって伝えたいです。日本では自殺が社会問題になってますが、僕みたいにダメダメな人が生きてるんだから、とりあえず生きていこうよっていうメッセージです。ぜひ、受け取ってください!

色々悩んできたことを、発信したい

僕がこれまで経験した、孤独、不安、恐怖、依存、嫉妬、自信が無い、自分の気持ちが分からない、HSP、うつ、引きこもり、受験失敗、就職失敗、退職についての体験談を発信します。

ただ、何かの専門家では無いです。だから、「こうしないとダメなんだ!」と自信を持って主張できることは何もありませんが、僕の気持ちや考えたことに共感してもらえたら嬉しいし、何かの良いきっかけになれたら良いなと思ってます。

夢を叶えたい

会社や組織で働き続けるスタイルが、こんな僕にはとてもハードルが高くて高くて、大変です。でも、やりたいことはたくさんあるし、楽しいことも経験してみたい。夢もいっぱいあります。とりあえずは、ブログで生計を立てることが年内の目標。アフィリエイトのプログラムにも参加しています。

ミケ男のコンプレックスについて

まずは、僕を苦しめているコンプレックスとプライドについて、僕のことを知ってもらうために、あえてさらけ出してみたいと思います。他人にとっては本当にどうでもいいことを、ずっと病的なほど気にしてきました。
【見た目】
  • 顔が薄い童顔。親せきから「鼻が低い」とディスられて、長い間コンプレックスに。
  • 顔がデカくて、パーツが真ん中に寄っている不思議な顔をしている。雰囲気は頑張っておしゃれして中の中くらいだがもともとの顔の骨格は中の下だと思う。身長175㎝の割に背が高く見えない。髪の毛もM字ハゲが進行し始めている気がする。しかも、右側だけ。
  • 街を歩いていると、他人が自分の顔を見て笑っているような錯覚を感じてしまうので、人が多い場所が苦手。
  • おしゃれをしていないと街を歩くことができない。
【対人恐怖】
  • 怒鳴られるのが怖い、急に大きな声をあげられるとびっくりする。
  • 自分に自信満々のイケイケな人が怖い。見た目も能力もコミュ力も経済力も全てが劣る僕ミケ男の存在自体が否定されているように感じてしまうから。
  • 集団、グループ、人前、全部苦手。全力で避けてきた。

【能力】

  • 中身は小学5年生あたりから変わっていない
  • 学歴とは別で、基本的に頭が悪い
  • 報・連・相が嫌いで、細かいことを気にして、全然仕事ができない
  • マイナス思考な性格から、ささいなことで落ち込みやすくストレスをためてしまう。
【しょうもないプライド】
  • 30年間の孤独で暗い人生は小さなプライドを守るために培ってきたもの。恥をかきたくない、格好良いと思われたい、特別だと思われたい、頭が良いと思われたい、一目置かれたい。受験勉強を頑張っていた理由もプライドのためだった。プライドのせいで、格好悪い時は人に会うことができない。しかも、格好悪いのがデフォルトの僕は自分で自分の首をしめていた。
【過去の過ち】
  • 気持ちがコントロールできなくて誰かといる時でも一日中無言を貫いていたり、ある日突然仕事にいかなくなったりしたことが何度もある。音信不通にした人もいる。全部、自分の欠点、認めたい部分を隠すためにしてきたことだった。

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2018.07.14

ミケ男の半生について

僕ミケ男の子どもの頃から現在までをまとめました。ミケ男がどんな人間なのか知ってほしいです。始めに言っておくと、普通の人からすると、すごく格好の悪い人生だと思います。なぜ、そんなことで傷つくの、なぜそこで諦めるの、なぜそうマイナスに捉えるの、と。

しかし、これが本当に僕が歩んできた事実なので、包み隠さずに発信したいと思います。

小学生の頃のミケ男

  • 絵を書くのが得意だった。
  • サッカーや運動も好きだった。
  • 昆虫採集や魚釣りキャンプなどアウトドアが大好きだった。
  • 家族19日にキャンプなどに出かけたり買い物に行くことが多かった。
  • 小学校3年生あたりまではたくさん友達がいた。
  • 活発だったけど、特定の状況や場所では極度に人見知りだった。
  • 習い事は続かなかった。
  • 家計節約の方針に従い、お金を使わないことや我慢することが偉いと信じていた。
  • 両思いになった女の子がいたけど、恥ずかしくて10回くらいしかまともに話してなかった。
  • 小学校の時は、笑を書いたりサッカーしたりアウトドアを楽しんだり、自分の好きなことを家族や友達と一緒に楽しんだ。
  • 人見知りだった。小学校5年生ごろまでは友達という心を開ける場所があり、人見知りでも心のよりどころがあった。
  • 毎日放課後に友達を誘って遊ぶ日々を過ごした。今では考えられないけど、自分から友達を積極的に誘っていた。
  • 小学校5年生の時に、いつも遊んでいたグループから仲間外れにあった。

僕にとって1番辛かったのは、遊んでいたグループから仲間外れに合ったこと。他人からの拒絶でした。自分を受け入れてもらえない悲しさから、人を嫌いになることが多くなり、プライドだけがどんどん高くなっていきました。この体験を機に、もうこんな気持ちを味わいたくないと思って、人間関係で何かあると、すぐに一人でいることを選ぶクセがついてしまいました。

中学生の頃のミケ男

  • サッカー部に入ったけど辞める。テニス部に入ったけど、すぐに辞めて、帰宅部になる。
  • 中学2年生で親の仕事の都合で、三重県から兵庫県へ引っ越す。
  • 美術のテストで100点を取った。
  • 学力は学年上位30番以内にはだいたい入っていた。でも、そのせいで自分は中の上なんだと言う変なプライドができてしまった。
  • 兵庫の転校先で、初日に不良に絡まれて取っ組み合いのケンカをしてしまった。学級が崩壊して荒れていた前の学校でのストレスに加えて、不良に小馬鹿にされたことで、泣き出しそうになった僕。涙をごまかすために喧嘩をしたような気がする。僕が人前でつかみ合いの喧嘩をしたのはこれが最初で最後。
  • すごく好きになった女の子に告白したがフラれた。塾の帰り道、その子の家の前で物思いにふけっていたら、部屋にいたらしい本人に見られていた。翌日から、学校で僕はストーカーだという噂が3ヶ月くらい流れて絶望した。
  • あまりしゃべらないように過ごしていて、何かあったらとりあえず愛想笑いを振りまくことにした。喧嘩した不良にも愛想笑いで程よい距離感を取っていた。そんな時、同じ塾に通っていた女番長みたいな女子に「笑顔が良い」と気に入られて、その噂が広がり何故かモテ期になった。(話かけられても「おはよう」くらいしか言えなかったので、彼女はできなかった)
  • 英語、理科、社会の暗記科目はがむしゃらにやれば結果が出るので得意だった。志望高校の入試は上位3科目だけで評価されたこともあり、入試では学年2番目の成績だった。(フラれた例の女の子と同じ学校は避けたかったので、区域で二番目の公立高校を選んだ。)
  • 通っていた中学は三重県の兵庫もどちらもかなり荒れていた。兵庫は番長制度があり、強さの順番で不良にも序列があって妙に怖かった。
  • 帰宅部による運動不足を、体育の授業で解消しようと頑張っていたら、保健体育賞とってしまった。

高校生の頃のミケ男

  • 陸上部に入ったけど、元帰宅部には基礎体力が足りなかった。足が遅い自分が辛くなり、浮いている気がしてすぐに辞めた。
  • クラスで仲良くなった友達を通して他のクラスの友達とも仲良くなったが、小学校の時からのコンプレックスや心を開けないクセ、変なプライドがあって人と上手くいかなかった。結局1人でいつも帰宅していた。
  • 帰宅部や何も続かない自分へのコンプレックスを、勉強で見返したいという強く思い始めて、高2から週5で塾に通っていた。
  • 行きたい国立大があり、そのために苦手な数学を、塾の先生にすがりながら、猛勉強した。でも、本番で過去最低点をとって散々な結果にすごく虚しかった。
  • 喉にチクチクとした違和感を抱えて、咳が止まらない発作に悩まさせる。勉強時間が削られるため、学校に行く意味を感じなくなった。何度か学校を休んで図書館で勉強していたらバレて、学年主任に目をつけられて大勢の前で何度か怒鳴られて精神的に追い込まれる。この時は精神状態がかなりやばかったけど、勉強しかやって来なかった僕は、勉強以外のことを考えられなかった。
  • 親からは、もしもの時は浪人させてやると言われていたけど、直前に無理矢理滑り止めの私立大学を受けるように言われて従った。僕は練習のつもりで受けて2つ合格していた。第一志望は手が届かなかったため、浪人したいと言ったが、ダメだと言われた。
  • 小学校以来の、自分の全てのコンプレックスを第一志望の大学合格でチャラにしたかった。逃げてばかりの人生を変えたかった。人に心を開けない、自信が無くてブレブレな人生を変えたかった。しかし、チャラになるどころか、親との関係は最悪になる。
  • コミュニケーションの量が不足していたのだろうけど、母親に泣かれながら浪人しないでと言われたので諦めた。親のためと思って、受かった私学に進学すると伝えた時、父親から「大学でもしっかり勉強してくれよ、頼むぞぉ!」と吐き捨てられるように言われたことで、さらに心が閉ざされていった。

親に認めてもらいたい、という気持ちもあったから、浪人せずに進学を選びました。でも、親にはそんな僕の想いは何も伝わっていなかった。その後も、一番認めて欲しかった親のデリカシーの無さには苦しめられました。

大学生の頃のミケ男

  • ボロボロの状態で入学した僕は、昔から得意だった絵を描くことくらいしかできなかった。
  • 頑張ってきた勉強生かせる塾講師のバイトを始めた。1年間続けたが、授業の前準備が大変で、それで大学の授業中まで時間を使っているのが辛くなって辞めた。受験で失敗した経験と、あまり勉強せずに推薦で同じ大学に妹も入ってきて、全てにおいて努力することが本当にバカバカしくなってしまった。もうこれ以上勉強をして人生を無駄にしたくないと思い、勉強に身が入らず、最初の学期は10単位落とした。
  • 絵は得意だったので、経験がなくても中の上くらい描けた。数度の挑戦でやっと市民コンクールに入選した後、見たままの物を描くことの苦しさを知り、抽象に移行した。抽象画でもコンクールで佳作をとるまで取り組んだが、絵を描くという孤独な作業は、半分現実逃避にもなったいた。
  • とんかつ屋のキッチンでアルバイトを始める。オープニングスタッフだったため、こんな僕でも同期とすんなり打ち解けた。小学校以来の友達と距離が縮まっていく感覚が本当に嬉しくて、楽しかった。しかし、要領が悪かった僕は、ミスも多かった。料理長から目をつけられて、同期からも「仕事ができないミケ男」とイジられていた。時々、ミスをして本気で同期から責められたり、本気できついことを言われるのが辛かった。大学生になって、過去の自分と折り合いをつけようと頑張っていたが、どうしてもミスが起こってしまうし、言われたこと気にする性格できついことを言われる環境が限界だった。
  • 美術部でも恋愛や人間関係でギクシャクすることが続いて居心地が悪くなる。最後の1年は幽霊部員だった。
  • とりあえず就職活動だけは頑張ろうと思ったけど、30社落ちて完全に自信喪失。正直、サラリーマン父親のように働いている自分を全くイメージできなかった。
  • 進路に悩んで時期、家族から「僕が就活終わるまでは、外食も旅行も行けない」とプレッシャーを与えられ続けていた。母が頼んと思うが、親戚の叔父から突然進路について頼んでもいないのに一方的に口出しをされたり、祖父母からも「公務員になれ」「教師になれ」「市役所で働け」という勝手なことを、言われていた。僕の内面の問題を心配してくれる家族は一人もいなかった。
  • ある日父親に「お前は何もできない」「お前は小学校の時からずっと逃げてきた」と言われる。その夜は寝付くことができず、今まで抱えていた受験のこと、全ての無念な気持ちが崩壊して、部屋の壁を穴が開くまで殴っていた。
  • もう興味のあることしかできないと思った僕は、自分で考えて、卒業後に専門学校に行ってデザインを学ぶつもりでいたけど、授業料が理由で断念した。親に頼むことはできない精神状態で、しばらくは家に引きこもっていた。
  • 同級生は大手企業に就職している人が多かったので、惨めな自分の立場がすごく辛かった。全部、すごくすごく辛かった。それでも、変なプライドがあったので、何か言われることでさらに自分か壊れて行く気がして、誰にも相談できなかった。内定が無いまま大学を2011年に卒業した。

卒業後については、また後日、書き足します(2018年8月)

自分らしい生き方で、人生に革命を起す

僕の周囲を見渡しても、ここまで挫折している人をみたことがありません。それでも、僕は生きています。

闇は深いのかもしれませんが、この悩み多き人生を、このブログと共に歩んで行きたいと思います。

繊細革命とミケ男をどうぞよろしくお願いします。