【体験談】僕が小学生で他人に心を開かなくなったきっかけと、親との関係性について。

どうも、ミケ男(@mikeoblog)です。

僕は小学校高学年の頃に、あることがきっかけで、人に心を開かなくなりました。その時期から、親との会話が減り、家族との外出もしなくなりました。それまでは、大勢いた友達とも遊ぶことが嫌になり、帰宅したらまっすぐ家に帰ってテレビばかり見続けていました。

それからの僕の人生は失敗と挫折の連続でした。習い事は何をやっても半年と続かず、部活は6年間帰宅部でした。その後も、大学受験失敗、就職氷河期内定ゼロ、既卒就活100社落ち、せっかく入れた企業を1年未満で退職と、いばらの人生を歩みました。

小学校高学年の時期に僕が失ったものを、僕は今なお引きずっているような気がします。人に心を閉ざし、その後の引きこもりやうつ状態にまで繋がった悩みの根源について、お話したいと思います。

この記事が、急に話をしなくなったお子さんを心配している親御さんや、小学生の頃の人間関係のトラウマが今も後を引いている人に届いてくれたら、何かの良いきっかけにしてもらえたらという気持ちです。

昔は友達と遊ぶのが大好きな、活発な少年だった

僕は小学校2年生の時、親の勤め先の都合で、大阪から三重に転校しました。前の学校の友達を離れるのは辛かったけど、慣れてきたらすぐに新しい友達ができて、すぐに学校が楽しくなっていきました。

僕は小学5年生までは、ほとんど毎日、放課後は友達と遊んでいました。友達と遊ぶことが生きがいだったんです。

人生が変わったある出来事

小学校3年生になって、すごく良いことがありました。クラス替えをして、学年全員が知ってるような人気者と隣の席になったんです。

最初は緊張してたけど、慣れてきたら、少しずつその子と仲良くなりました。すると、急に友達の輪が広がりました。

転勤族で、自分の居場所が無いような気がしていた僕にとって、友達が増えること、友達がいることが、何よりも重要でした。母親は構ってくれないし、父親も仕事で忙しい。

友達が僕の全てでした。

人気者の彼と友達になって、まるで僕まで人気者になったような気がして、すごく浮かれてました。家では妹と喧嘩ばかりする長男でいつも僕が親から怒られてたけど、学校では友達に認められている気がしました。

得意だった絵を描いたらみんなにすごいと褒められたり、休み時間にサッカーをしていたらちょっとだけ上手くなって、その時期は学校が楽しくて仕方なかったのでした。

僕はもともとマイペースな性格で、人見知りするような内向性がありました。クラスで流行りのゲームやおもちゃをみんなが持っていても、僕は「お金がもったいない」という母の教えを守っていました。

その影響なのか、些細なことで人気者の友達と意見が対立するようになりました。

友達が増えて、浮かれていた

僕自信もすごく当時は浮かれていて、無茶苦茶だったんですよね。悪気は無かったんですけど、周りを楽しませたいと思うあまり、ある友達が気にしてるようなこと言い続けて泣かせてしまったり、給食の時、会話が楽しくなりすぎて、手が滑って味噌汁を友達にこぼして泣かしたり。

遊びのつもりで取っ組み合いをして、その拍子に友達が机に頭を打って泣かせてしまう、相手が気にしてそうなことを面白がってあえて言ってしまう、とか。

結構、はちゃめちゃなことしてたんです。

親からほぼ放置されていたし、それを学ぶチャンスが無かったため、相手の気持ちを考えるという発想が無かったんです。本当に悪気は一切無かった。まだその時に僕は、人が傷つくとか、悲しいとか、その意味がよく分からなかったんです。

そんなことより、楽しいこと、みんなが笑ってくれることならなんでもやろうとして、たぶん色んな人を傷つけていました。

人気者から言われた言葉

そんなお調子者の僕だったのですが、ある時期から例の人気者の子から嫌われ始めました。

人気者の子から嫌なことばかり言われるようになりました。良かった同じグループの別の友達からも何となく小バカにされるようになっていました。でも、楽しければ良いかなって思ってたんです。ちょっと悲しかったけど。

小学校5年生の頃、人気者とまた同じクラスになりました。ある日、昼休みのドッチボールで僕だけに集中してボールを当ててきて、さらに嫌なことを言われました。

むかついて、僕は言い返したんです。その子が気にしてることを。

僕は腹が立ってたし、何の罪悪感もありませんでした。

そしたら、人気者の子が僕の胸ぐらを掴んで、壁に押し付けて、

 

「お願いだから、死んで」

 

そう、2~3回繰り返し言われました。

友達が何人か見ていました。

初めて体験することで、どうしたら良いか分かりませんでした。それだけ嫌われるようなことをしていたんだなって、かなり後になって理解しました。

ただ、あまりにもショックなことを言われて、僕は初めて腹が立つ以上の気持ちになりました。こんな目に合うなら、人気者とは絶交した方がマシだって、もうその子とは無理だって思ったんです。

どんなに嫌なことがあっても、友達と縁を切ったことはありませんでした。色々あっても、すぐに仲直りしたくなって、自分から謝ったりできていました。

でも、もうこの子とは仲直りできないな、と感じ取ったんです。

だんだん色んな友達が離れていった

人気者繋がりで仲良くなった友達たちとは、人気者の子がいる時は、一緒に遊ばないという状態でした。そしたら友達から少しずつ距離を置かれるようになっていきました。

その頃、僕はすごくポジティブな小学生でした。そうなるなら別の子と仲良くなれば良いと思って、別の友達グループに入ろうとしました。

でも、いざ一緒に遊んでみると何だか居心地の悪いんです。何を話して良いか分からない。一緒にいても、あまり楽しくない。仲間に入れてくれたのに、申し訳ないんだけど。

そういう、気まずいなという感情が芽生えたのはこの時期が初めてでした。

だんだん1人ぼっちになった

とりあえず、小学校の残り2年を一人ぼっちで過ごすと困るので、誰でも良いから、仲良くなってくれる人を探してました。

昼休みとかも、とりあえず部屋の中にいると、1人になってしまいそうで、外に出て適当に他のクラスの誰かと遊んでる風を装ってました。6年生の時の修学旅行で気づいたら僕だけ隣の席が空いてたりしてました。

仲良し同士で自由に席を決める時が怖くてしかたなかったです。

でも、ずっとこの話は無かったことにしていました。

自分が仲間外れにされてるなんて、恥ずかしくて、悲しくて、悔しくて受け入れられませんでした。

そして、だんだん僕も友達に期待しなくなったんです。友達を求めなくなったんです。

あんなひどい辛い仕打ちを受けたり、バカにされたり、仲間はずれにされたり、仲良くなっても離れていったり、友達といても、楽しくない。

もう人と関わるのは疲れたし、心が傷つくだけだから、1人になろう。

そういう考えにたどり着いて、僕は人に心を閉ざしました。

この時期、学校の担任の先生からも、なぜか目をつけられるようになって、何か忘れ物をしたりすると遠回しに嫌味を言われたりしてました。

あと、クラスに暴れん坊がいて、授業が中断して、頻繁にホームルームが長引いたり、学校生活の環境も良くなかったです。

親との関係はどうだったのか?

僕が小学校2年で天候してきた時、妹の一人は幼稚園、もう一人は赤ん坊でした。専業主婦で転勤族で核家族。子ども1人でも大変なのに、3人もいたんです。当然、小学校に上がった僕なんかは放置になっていました。すでにその頃の僕は、母親に甘えられなくなっていました。

でも、僕も自分で子どもながらに、男だから別にへっちゃらだって自分で思ってました。お母さんと一緒だとむしろ恥ずかしいと思ったくらいでした。

そんな母親にほとんど放置されていた状態だった僕だったので、5年生の頃に徐々に友達と遊ばなくなっても、何も気づきませんでした。僕も何も言いませんでした。

かっこ悪くて、恥ずかしくて、言ったところでどうにもならないと思ったからです。むしろ、むちゃくちゃしてた自分が怒られそうな気がしたんです。さらに、家で口数が極端に減りました。

母親はそのことを反抗期だからと言って色んな人に話してました。友達が周りから減っていく苦しさを味わっていた僕は、かなり自暴自棄になっていて「全てどうでもいい」という気持ちになっていました。

母親の我慢が子どもへのしわ寄せに

母は我慢強くて自分で全部解決しようとする性格です。あと、一見愛想が良くて、腰が低そうにみえるけど、本当は結構プライドが高くて、周りからの意見も本当は全然聞いていません。

困った時にも、人に相談しないし、本も読まなければ、調べたりもしない。何か子どもに起きた都合の悪いことは隠そうとするんです。

そのしわ寄せは、きっと子どもの小さな異変とか、気持ちを無視してしまうことに繋がっていたような気がするんです。1人で3人の子どもの面倒をみて、周りに助けを求められない。真面目で頑張り屋の母でも、1人ではどうすることもできなかったように思います。

子育てが形になっていうように外からは見えても、子どもの気持ちまでケアできない、母以外におじいちゃん、おばあちゃんが周りにいない。全部自分でやらなければ、というプレッシャーがあったのかもしれません。

「心」を感じない母親

母親は運動会とか修学旅行とか卒業式たか、周りの大人と関わる場面では急に僕のことに関わろうと登場しました。それも何か「心」が通っていないというか、義務として済ませているような感じでした。

それは僕が学校で色々あって、すさんでいたからそう感じたのかもしれないですけど。今でも母親はそういうところがあります。

よく母親は僕のことを話すとき、こう言ってました。「男の子だから、大丈夫」。あと、父親が口を酸っぱくして「節約」と言っていたので、僕と母親だけは、節約に協力してました。

そうしないと、僕は両親に受け入れられない気がして。だから、流行りのゲームとかおもちゃを結構我慢したんです。

ただ、今あの頃の話をしても母親からは、僕に一番お金をかけたと言われます。それは、どういうことかと言うと、別に欲しくなかった高いランドセルとか、母親が義務感で買った子供服とか記憶にないもののことばかりです。初めての子どもができて、幸せを感じていた時期の記憶が強いのかもしれないけど、僕の記憶では我慢した記憶、他の家の子が好きなおもちゃを買ってもらっていた記憶、妹も好きなものを好きに買ってもらっていた記憶が強く残っています。

こう考えると、マイナス思考な子どもで申し訳ない気がします。ただ、本当にそう感じてしまったのは事実として書きとめておきます。

たぶん母親は祖母と依存しあう歪んだ関係だった

母は祖母からかなり厳しく育てられたらしいです。最近、祖母が亡くなるまで、その介護をしていたんですが、パートもやめて、ありえないくらい手厚く介護してました。

毎日入院先に自転車で通って、毎日あれが痛いからさすってくれ、これをやってくれ、買ってきてくれ、というのを聞いてあげているんです。

祖母が母親に依存して、母親は祖母からの承認がほしくて、自分の時間を削って介護をする。母と祖母の関係性が歪んでるなって、薄々気づいてました。

でも、母は「おばあちゃんに感謝してるから」と言って手を抜かない。そこは触れないでってオーラが母から出ていました。

と言いながら、時々、嵐のようにおばあちゃんへの不満が母親の口からこぼれていました。やっぱり、無理してんだなって。でも、そこから抜け出せない様子でした。もしかすると、共依存のような関係だったのかもしれません。

共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、共嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。 すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。

wikipedia:共依存

子どもにとって親は神様だった

小学校の頃に感じた恐怖とか孤独感とかありのままを受け入れてもらえない気持ちを、29歳の僕は今でも引きずってます。

転勤族で、核家族で、長男で、幼馴染もいない根なし草のような僕にとって、両親はもう神様みたいなもんでした。友達に仲間はずれにされたら、僕にはもう父と母しかいなかったんです。

妹はほとんど敵のようでした。妹の方が弱いから、いつでも、ケンカしたら僕が怒られるんですよね。家も、僕を受け入れてくれる場所じゃないような気がして、だんだん人を避けるようになって、しゃべらなくなっていきました。

友達がいなくても、家族は味方であってほしかった

全部を理解するのは無理でも、友達と遊ばずに家でテレビばかり見てたり、口数が極端に減った僕と、もう少し向き合ってほしかった。

思春期だからそういうもんだ、と放置されて、運動会や参観日のイベントの時だけ登場する。お母さんの料理が上手でいいね、と友達のお母さんに言われても、そんなことは僕はどうでもいい。

やがて、家族とも外出しなくなった僕は、さらに口数が減り、友達との遊び方も分からなくなっていきました。

このようにして友達と家族という僕の居場所が無くなりました。

イベントや通過儀礼だけをやりたがる母親

その後も、中学、高校、大学、社会人と、親との関係は悪化していきました。最近祖父が死んだ時に集まって、ようやく少し落ち着いて話せるようになりました。

しかし、親に感謝はしてるけど、すごく複雑な感情です。心が通じ合えない他人のような気がするんです。

先日も、祖母のお葬式で親戚が集まって話になった時のこと。母親は親戚との会話でよくこの話題を口にします。「早く結婚してほしいのに、うちの子は全然なにもないんです、本当に早くしてよ!」と。

こんな時に再確認させられてしまいます。今まで、ここに書ききれないくらい色んな大変なことがあったのに、苦しんだのに、この母親は僕のいったい何を見ているんだろう…感謝はしているけど「心」が無いんだな、と。

成人式とか結婚式とか、そういうイベントだけして見せても、気持ちがともなって無ければ、意味が無いのになってすごく思うんです。そんなの、無くても、気持ちさえあればいいのになって。

友達と家族が事実上死んだ

僕があの友達に「死んで」と言われた頃から、重要だった「友達」と「家族」が、僕の中で死んでいきました。

29歳になった今でも、それらは僕の人生に深く影響を与えています。ただ、一つ役に立っていることがあります。こうやって記事を書いている理由は、その時の孤独感とか、虚しさがを経験したからかもしれません。すぐに記憶から引っ張りだして、思い出すことができます。

誰を責めたらいいのか?

子どもと親の関係性ってデリケートで難しいことがあると思います。母も一人で3人の子育てで、しかもよりによって繊細な長男だったから、何を考えているのか分からなくて、不安で辛かったでしょう。

父も転勤をしたくて、してるわけじゃなかったはず。僕も友達の気持ちが分からなかったから、あの時仕返しをされました。

最終的には誰も責められない。責めるところがあるとすれば、社会全体の仕組みとか構造がそういう家族を生み出すことに繋がっているのかなって思います。それぞれで、精一杯やってきたと思うんです。

難しい子ほど「心」と向き合ってほしい

思春期のお子さんがいる人には、失敗した親子関係の例として知ってほしいし、誰にも迷惑をかけたくないからと一人で全部やろうとした時に、しわ寄せが子どもにいってしまうこともあると知ってほしいです。

何か問題が起きた時は、義務感や罪悪感でなくて、ちゃんと「心」を持って向き合ってほしかったなと、思っています。

たとえ、思春期でも、そのことはちゃんと大人になっても覚えているから。

後から、そのことを感謝するようになります。

まとめ:神様に守られる子どもは幸せだ

わずかな気遣いや行動が、子どもの心の支えになることもあります。子どもにとって親は神様みたいに大きな存在。神様に守られてると思えたら、子どもは幸せだと思います。

僕がしてもらえなかったことを、是非してあげてほしいなと思います。

以上、僕の小学校の頃の辛い体験、人に心を開けなくなったきっかけのお話でした。

ありがとうございました。

以上です。
by ミケ男

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6 件のコメント

  • こんばんは。岐阜県在住の専業主婦です。最近昔の嫌だったことを思い出して眠れなくてたまたまミケ男さんのブログ見つけました。
    息子が幼稚園に行き始めてから今プチひきこもり状態です。友達もおらず親兄妹とも疎遠で、今日も家族以外と話さなかった、という感じです。仕事や趣味を始めたほうがいいとは思うのですが、やっぱり過去の失敗を思い出して、やめておいたほうがいい、となります。
    ミケ男さんのブログ、本当に共感出来るところが多いです。またコメントします。応援してます。

    • かさねさん

      コメントありがとうございます。

      4時ごろに投稿いただいているので、かなり夜中まで寝付けなかったのですね。

      家族以外とは話さなかったということで、辛いことがあったりすると、1人で抱え込んでしまいやすくなるんでしょうか?

      今は、仕事や趣味への興味や好奇心よりも、過去の失敗を思い出す方が勝ってしまう時期なのかもしれませんね。

      僕には想像しかできませんが、専業主婦をされていると、家族との関係、息子さんの子育て、周りからの色々なプレッシャーを1人で背負って辛いことがたくさんあると思います。

      コメントしてもらった文章からしか推測はできませんが、かさねさんの「仕事や趣味を始めたい」という気持ちがあることに、とても意味を感じました。

      どんな活動も取り組みも、自分を追い込んだり、辛くなるようなら、無理して取り組まない方が良い時期があります。

      逆に、辛い時や苦しい時に、日常の活動以外の趣味が心の支えになる時があります。心の支えはたくさんあっても損はしません。

      やっていて心地の良いことから、昔からやっていて得意なことから、一番周りが喜んでくれることから、

      ぜひ、ゆっくり自分のペースを大切にしながら取り組んでもらえたら良いのかなと思います。

      自分の幸せのために、心地よく生活するために、喜びや楽しさを感じるために、それに繋がりそうなことを、ゆっくり自分のペースで。

      ぜひ、今のままでも幸せだけど、もっと幸せになるために、というスタンスで行きましょう。

      参考になれば、嬉しいです。

      コメント、応援、ありがとうございました。
      とても励みになります。

      by ミケ男

      • 御返事ありがとうございます。ほんとうに御返事いただけるとは思っていなかったのでとてもとてもうれしいです。

        今は趣味や仕事など大きなことを始められなくても、家族のためにお菓子を作ってみる、みたいなことでもいいんですよね。まずは小さなことかもしれないけど家族が喜んでくれることを自分のペースでやって
        いきたいなと思いました。
        ここで相談しちゃってすみません。続きは相談室に相談しますね。
        まだ相談したいことがあるので

        • 参考になったのであれば、
          良かったです。
          何かを考えて、トライアンドエラーを続けていくきっかけになれば良いのかなと。

          もし、差し支えなければ、こちらの返信で大丈夫ですよ。

          悩みが共有されていくほうが、世の中のためになると思いますし、匿名である意味もそこにあると考えています。

          返信できるタイミングに波がある方なので、気長に待っていただければ。

          by ミケ男

  • こんにちは。
    この記事に書いてあること、わかります。
    私も、両親には感謝している反面、こうして欲しかった、という思いが今も心にあり、どうしても距離を置いてしまいます。私の親は放任ではなく期待過剰型でしたので、学生時代はそれはそれは勉強に部活にがんばりました。親に認めてもらいたかったんです。でも社会に出てから上手くいかなくなって。あれ、こんなに親の言う通りにがんばってきたのに、なんで?って。
    それからずっと自分の生き方を見つけようともがいてきたけど、見つかりません。結婚して自由になったはずなのに。

    • 距離を置いてしまう気持ち、僕も良く分かります。距離を置かないと向こうのペースに持っていかれるような気がして怖い時が僕はあります。もしかすると、そうやって恐怖を大きくしているのかもしれないと今書いていて思いました。

      僕が親に思っていることを伝える時は、だいたい手紙かメールしかないです。その方が、どういう訳か、ずっと伝えるのが楽なんですよね。幼い頃の記憶の呪縛から早く解放されたいなといつも思っています。たまに、でも、最近ちょっとずつ、親が悲しむことでも、自分らしく生きるために、言わないといけないことは、何かしらの方法で伝えなくてはいけないと思うようになりました。

      遅い反抗期を迎えつつあるのかもしれません。

      どんな方法でも言いたいことが言えると、すっきりします。

      感謝はしつつ、良い距離感を探っていきたいですね。

      あまり回答になっていませんが、コメント嬉しいです。

      ありがとうございます。

      by ミケ男

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    繊細過ぎるブロガー
    どうも、ミケ男です。 (元年生まれ/神戸市在住/友達募集中) 繊細で臆病、人に心を開けない、自信が無い、他人が気になる。何でもかんでも考え過ぎてしまう僕は、人生でたくさんの失敗と挫折を経験してきました。中高6年間帰宅部だったり、猛勉強した大学受験に失敗したり、就活に失敗して引きこもったり、苦労して入社した会社をすぐに辞めたり...こんなダメダメな僕が発信する雑記系ブログが繊細革命です。こんな僕でよければ、時々ブログに遊びにきてください。よろしくです!