自分の気まぐれな性格と上手に付き合うために考えたこと

頻繁に考えや気分が変わる、気まぐれな性格。
一つのことを極められない。
一つのことを継続して努力できない。
昨日と今日で気持ちが変わる。
自分を変えるために様々な努力をしてきましたが、これは、自分には変えられない性格ではないかと考え始めました。
気まぐれなことに悩んできて、僕が今考えることを紹介します。
気まぐれな性格とは
昨日と今日で考えていたことが違う。
目標がコロコロ変わる。
読んだ本の内容にすぐに影響される。
本当の自分の気持ちを確かめるために日記をつけていても、考えの変わりようにうんざりする。
就職の面接でも「あなたはどんな性格ですか」と聞かれた時に、とても困りました。おそらく真面目、謙虚、優しい、、しかし、それらは本当の性格とは違う気がしていました。
頻繁に自分の性格や考え方、物事の見方が変わってしまうからです。
「昨日はあの人が大好きだったけど、何かのきっかけで今日は大嫌い」
「さっきはできるって言ったけど、今はできない気がするし、やりたくない」
気まぐれな性格だから、コロコロと考え方が変わっているからこそ、いざ自分がどういう性格かを聞かれた時に、一体どれが本当の自分なのか分からなくなっていたようです。人間としての芯が無い、根っこがないような、漠然とした不安を感じてきました。
気まぐれな性格で困ること
気まぐれな僕は、いろんなことに興味が移っていきます。そんな僕が人生で成功するためには、きっと気まぐれな部分は自分の持病であり「欠点」だと考えて生きてきました。改善すべき悪い部分だと。
でも自分本来の性格を変えるのは難しいし苦しい。さらに、こんなに自分の性格を抑えて生きてきたつもりなのに、大きな目標達成も、まだ何も手にしていないように感じている自分がいます。
気まぐれをやめるための様々な努力は虚しい結果に終わった。
これまでそんな自分を変えるために必死で努力した時期がありました。
今の自分は本当の自分じゃない、もっともっとできるんだ、という理想だけが先走って、現実と全く違う理想にずっととらわれていました。
何も達成できないような自分だったら死んだ方が良い、なんて考えてプレッシャーで自分を追い込んだこともありました。学生時代はただ親に認めてもらいたい一心で良い大学を目指し、苦手な科目を必死で勉強して、偏差値を上げることだけを考えていました。結局は、苦手な科目はやっぱりどうしても苦手で、受験勉強で一番時間を費やしたのに、その科目は本番で使い物にならなかったのです。
欠点に打ち勝ち、克服して大きな成功を手にする。
そんなサクセスストーリーをイメージしながら、自分に厳しく生きてきたつもりなのに、実際はそんな輝かしい妄想の姿からは程遠い僕が今ここにいます。受験から10年近く経っても、あの苦労と結果のトラウマのようになっています。
素直に気まぐれな性格で生きても良かった気がする。
もしも、素直に自分の気まぐれな性格を受け入れながら自分のペースで生きていたとしても、今と比べても、達成できたことにほどんど変わらなかったような気がします。
目標を達成できる芯のまっすぐある理想の自分が呪縛のように頭の片隅にいて、本当のの気まぐれな自分をずっと責めているような感覚が常にあります。些細なことに動揺して、ストレスを感じやすくなったり、人との関わりを自分から避けがちになったりしました。
変えられない部分を無理に変えようとする努力は、結局のところ虚しい結果に終わってきました。
気が付いたら、そんな虚しい考えから抜け出せなくなって、僕は色々なものを失った気がします。地元の友達との友情や青春の思い出、親との関係、そして、既卒での就活、引きこもり、転職の繰り返し。
気まぐれを抑えて一つのことに集中し続けた後の反動
もしかすると、変えられない部分を無理に変える必要はなかったかも知れないです。自分の好奇心からじゃなくて、他人に認められるために高い目標を立てて、自分の魂を売るようなことをしてきました。
無理に気まぐれを押さえつければ、同じ分だけ反動は返ってくる。努力と忍耐は必要だけど、自分の性質まで極端に変えなければいけない努力だった場合は、そこから得た知識もスキルも身につかないし、モチベーションも不安定で復習する気にもなれない。むしろ、辛かったというトラウマだけが心に刻まれています。
気まぐれを欠点として捉えてしまうと、治さないといけないことのように考えてしまうと、もっと苦しむ。本来の自分を受け入れられないことは、恐ろしいほど孤独で不安で辛い。
余計なプレッシャーで自分を追い込んでも、気まぐれな僕には逆効果だった
スポーツ選手などで、大きな目標を立てて、公言することで、自分にプレッシャーを与えて成功するタイプの人がいると思います。もちろんその方法でうまくいく人はいる。でも、気まぐれ、かつ繊細な性格の僕がそれをやったら大変なことになります。
例えば趣味で絵を描いている人が、今年はあの大きなコンクールに絵を出します、みたいな宣言をしてしまうとそれがプレッシャーになる。だんだんやる気は下がる。でも、仕方ないんです。それが変えられない気まぐれな性格の一部だから。
のびのびとプレッシャーの少ない環境の方が、気まぐれの僕には良いです。そんなんじゃ厳しい環境で生きていけない、変化に対応できない、甘いって言われるかもしれないけど、そう言う他人の意見にも流され続けて、自分の精神まで潰してしまった過去がありました。やっぱり、気まぐれです。でもそれが自分なんです。
気まぐれなりになんとなくずっと好きなこと、毎日ではないけど辞めずに続けていること。
一方で、気まぐれなりにも興味があって続けたこと、数ヶ月でもやったこと、自分で選んでやったことに関しては、変なトラウマや迷いが少ないように思います。
例えば、ブログを書くこと。このブログの記事数は今は約80くらいでしょうか。
当初は一日一記事などの目標を考えてたけど、やっぱり続かない。
無理した反動で、アイデアが浮かばない。長く放置してしまう。
それでも、好きだし、興味があるし、日々の悩みは尽きないから、自分の気持ちを整理するためにもブログは続いている。小さな一つの記事を、なんとなく続けて80記事。
もしかしたら、気まぐれな僕にははっきりした目標なんていらないかもしれない。
なんとなく好きなことには引き寄せられている気がしています。
違うなと思う物事は去っていくか、僕自身がそこから去ってしまう。
自分を偽って大きな目標を立ててもなかなか続かない。
気まぐれなままでも、問題なく生きていける
有名人や社会的に責任のある立場の人ならダメですが、僕が普段の会話や生活で、昨日と言っていたことが違うからと言って、大きな問題になることはほとんどない。そして、会社の周りの同僚だって意見が変わる時がある。周りを見渡せば気まぐれだらけじゃないかとびっくりする。僕にとってはこれは大きな大きな発見でした。
世の中は気まぐれであふれている。
気まぐれな性格を受け入れてみる。
悪気はないんですが、気まぐれな性格の人は他人の意見に流されます。
僕は結構、自分が周りからどう思われているのかが気になってしまうので、
他人の影響をすごく受けます。それはあまりいいことじゃないかもしれません。
でも、これが僕の変えられない部分であり性質だと考えてみると、かなり気が楽になります。本当の自分の性格を理解していれば、他人の意見に影響されている時、流されてしまった時に心のダメージが違います。
本当は気まぐれなのに
「人の意見に流されてはいけない」
「コロコロと意見を変えてはいけない」
と考えていると、現実には毎日毎日人の意見に流されている気まぐれな自分がいて、そんな自分自信が嫌になっていました。口数も少なくなってしまうし、自分の意見を言えなくなる。素直にその時に思ったことを言うことができない。昨日と違うと言われるのが怖いから。
でも
「人の意見に流されてしまうのは、自分の変えられない性格、気まぐれな性質の一部」という真実を認めていれば、自分を責めることも少なくなるはずです。それが本当に変えられない自分の性格で、事実だからです。
「あ〜やっぱり流されているな」ってくらいにとらえるくらいがちょうど良い気がします。「あ〜昨日はああだったけど、今はこう思います。考え直しました。」ってくらいで意見が言えたらすごく肩の荷がおります。
気まぐれな性格とうまく付き合っていくことで、道は開くと信じたいです。

まとめ:どうしても変えられない自分の性質は、愛すべきものとして受け入れてみる。

 変えようとしても、変えられないことがある。それを変えなければいられない場所は、たぶん自分の場所ではないかもしれない。 人との関係でも、そういう自分を受け入れてくれる関係大切にしていく。 まずは自分の性格を認めて、否定です、目を背けず、受けていれていくこと。どうしても変えられない自分の性質は、愛すべきものとして受け入れてみる。 気まぐれなりにも、工夫しながら生きていく。
自分の性質を理解した上でなら、
どうすれば、気まぐれな自分でも何かを継続できるようになるだろうか?
どうすれば、気まぐれな部分があっても、人生を楽しむことができるだろうか?
と考えを一つ上の次元に持っていくこともできます。
●他人の影響を受けやすいなら、影響を受けたいと思える人と関わっていく。例えば、一緒にいて落ち着く人、信頼できる人、尊敬できる人が周りにいれば、ずっと良い影響を受けられるかもしれない。
●気まぐれでも、何かを達成できた経験はある。どんな環境なら何かに継続して取り組めるだろうか?例えば、今の職場で僕は2年目になります。今の職場で仕事を続けられている理由は、家から近いこと、同僚や先輩が面白いこと、ちょっとユルい社風であること、芸術に少しでも関わることができる場所であること、など色々。そして、うっすら分かってきたことは、僕の職場は色々な意味でプレッシャー高くないということ。つまり、気まぐれでも続けやすい環境だから、元ひきこもりの僕が今もこうして働き続けられているかもしれません。
気まぐれであろうが、なかろうが、自分の性質を理解し、それを愛すべきもの、まず真実として受け入れることから、全ては始まるような気がします。
気まぐれなりにも、これからもブログも頑張ります。

by ミケ男