引きこもりに対して世間も周囲も非常に冷たいものです。
怠けているとか、甘えているとか、一度引きこもったら社会復帰は難しいとか、引きこもりのことを社会から抹殺したいのか、と思うくらい。
僕は就活と仕事がきっかけで、これまでに2回、それぞれ1年ほど引きこもりを経験しました。
いつも言いたかったのは「誰も好きで引きこもってるわけじゃないんだ!」ということでした。周りの誰からも理解されない引きこもりの辛さを、僕は忘れられません。
今回は、僕が引きこもり時代に感じていた辛さについて発信します。
この記事を書いたのは、自分がHSPだと知る前でしたが、HSPだからこそ感じる辛さがあったと思います。
この記事が、現在、引きこもりになっていて苦しんでいる人、HSPに悩んでいる人の何かのきっかけになればと思います。
そして、僕がどうやって引きこもりから脱出できたのかについても触れながら、引きこもりの辛い気持ち、苦しい体験を書いてみました。
目次
引きこもりは家族に理解されないことが「つらい」
最も身近な家族から、引きこもりになって苦しいという気持ちを全く理解されなかったことにとてつもなく苦しみました。
親や親戚には「怠けている」「甘えている」としか思われなかったんです。
僕の引きこもりのきっかけは就活でした。自分のやりたいことが分からず、どんな会社を受けても結果が出ず、何もかもに絶望していました。
内定がないまま大学を卒業し、ボロボロの精神状態だったけど、ギリギリの状態である会社で契約社員として働き始めました。
しかし、その会社を4ヶ月で退職。その時点で、完全に心が折れてしまい、自信を喪失しました。全てのことが嫌になって、引きこもりになりました。
人生で最も辛いと思った時でした。
本当に辛い時に、最も理解してほしかった家族から、「甘えている」「怠けている」「早く就職して」としか言われませんでした。
気遣う言葉すら一つも無かった。
心配はしていない訳ではないだろうけど、追いつめる言葉しか言われない。
それが、僕にとって本当に本当につらくて苦しかったです。
引きこもりはおじいちゃん、おばあちゃんにも頼れない
いつも僕の味方になってくれた、おじいちゃん、おばあちゃん。
引きこもりになる前、就活が上手くいかなくなったあたりから、僕への対応が変わりました。
遠回しに怠けている、遊んでいる、どこで働いても一緒、忍耐が足りない、などと言われるようになりました。
親の仕事の都合で小学校・中学校で3回転校したため、幼い頃から自分を知ってくれている人は家族だけでした。
いわゆる転勤族です。
根無し草のように、どこに行ってもよそ者のような気がして、心から相談できる友達もいない。
そんな僕にとって、ずっと一緒にいる家族の存在がすごく重要だったんだと思います。
その家族の影響は、僕の人生の選択にまで出ていました。
幼い頃から、親に認めてもらうために、自分にとって大切だった色んなことを我慢してきました。
趣味も進路も親に認めてもらいたくて選んだ部分がありました。
そのように考えていた中で、僕が本当に辛かった時期にかけられた、家族からの言葉、おじいちゃん、おばあちゃんからの言葉は、僕の心にグサグサと刺さり、かき回し、えぐりました。
自分が周りを不幸にしている罪悪感
引きこもりをしていると、僕のせいで、家族を不幸にしている気がしました。
引きこもってるから、親は友達を家に呼べない、親は家族のことを人に話せない、家族で楽しくテレビも見れない、何をしても楽しくない、そんな空気が伝わってきました。
僕がいない方が、家族が幸せになる。僕がいるから家族が不幸になる。引きこもっていた時は、毎日そんなことを考えました。
家族が「こいつのせいで、家が不幸になっている」と思う気持ち以上に、僕の方がずっとずっと「自分が家族を不幸にしている」と強く激しく感じていました。
引きこもりだから、昼間に外に出られない
昼間に外に出ると、中学・高校の知り合いやその家族に会うことを恐れていました。
同世代の人たちが会社に勤めて毎日働いて、人間として成長していく中で、僕だけは成長せず、家で引きこもっている後ろめたさ。
こんな、自分自身の情けなさ、格好悪さ、恥ずかしさに押しつぶされそうになって、昼間は外に出られませんでした。
もし知り合いの誰かに会ったら、何を話して良いか分からないし、本当のことを言って、理解されるわけがない。
こんな格好悪くて、みじめな状態で誰かに会うなんて絶対にできない。それで、ますます孤独になっていって苦しみました。
生活リズムが夜型になっていき、昼夜逆転状態になってしまいました。
元のリズムに戻そうとしても、昼間に出歩くのが怖くて、また夜型に戻ってしまうのでした。その日々は、自分が現実の世界に生きてることを感じられないほど、苦しかったです。
引きこもり中に過去の辛いことを思い出す
買い物以外ほとんどを引きこもって生活していると、たった一人で部屋で過ごす時間に、過去のつらかった体験がフラッシュバックして頻繁に思い出すようになりました。
それは、何度も何度も嫌なことを経験しているのと同じでした。
過去の言われて、すごくショックだったけど、その場を取り繕うために、無理やり受け入れてきた言葉がたくさんありました。
父親、母親、家族、親戚、学校の先生、友達に傷つけられた時、その場で怒ったり、反論したりが全くできなかった僕は、いつも自分の中で全部ためこんで、何も無かったことにしてきました。
その記憶が引きこもりで一人で過ごす部屋の中で、何度も何度も思い出してしまった、すごく憂鬱になりました。
引きこもり+メンタル不調は死にたいレベルの辛さ
引きこもりの人のうち、何かしらのメンタルの不調を抱えている人の割合は、引きこもっていない人に比べてその割合が非常に高いという調査結果があります。
僕も、会社を退職した時にうつ状態と診断され、その後に引きこもりを経験しました。
(ただし、うつ状態、うつ病に関しては、僕なりにどうしても発信していきたい持論があります。また次の機会にお話しします。)
うつ状態だった僕のことを簡単に説明すると、日常生活で何をしていても、全ての出来事がマイナスにしか感じなくなってしまうんです。
体は元気だし、病気ではない感覚はあるけど、病気以上に日常生活に支障をきたしました。
「頑張れ!」という言葉をかけられると、「お前は頑張ってないから、もっと頑張らないとダメなんだよ!」に感じてしまう。
「気にするな」と言われても、「気にしているお前は格好悪い」と感じてしまう。
ただでさえ、引きこもっていて、理解されなくて、過去を思い出して、罪悪感すらある状況でし。それに加えて、さらにうつ状態になると地獄のような辛さでした。あまり書きたくないですが、この時によく考えていた正直な気持ちは、
死なないと僕の辛さは誰にも理解されないのかな
ということでした。
それくらい辛かったんです。
追い詰められていたんです。
「無理しないで良いからね」と言ってほしかったんです。
ネットにすら居場所がない
リアルな世界で誰にも相談できなかった僕は、yahooの知恵袋という悩み相談に何度か、悩みを投稿してみました。とにかく、誰かに救いを求めていたんです。
投稿したら、すぐにコメントが来ました。半分はとても温かい内容で励まされました。でも、もう半分は、厳しい意見、親と同じような辛辣なコメント、心ない言葉まで書いてありました。
ネットでならば、僕の居場所があると信じたかったんです。
しかし、ネットでも現実と同じように、いろんな人の意見が、四方八方からやってきました。
知恵袋の温かい言葉は本当に励まされたし勇気づけられました。
でも、それ以上に、傷つく言葉も書き込まれていて、当時の僕は悪いことほど極端に強く感じていたので、ネットの中にも居場所が無いんだな、と思って悲しくなりました。
現在、ブログは僕の大切な居場所になっています。ブログのおかげで、僕の人生は大きく変わろうとしています。
ようやく見つけられた自分の居場所で、僕はもっともっと発信したいことが山ほどあります。
ブログを始める前までは、本当に居場所がゼロだったから孤独でつらかったです。
このブログを運営する目的の一つは、世の中の弱い立ち場の人の拠り所にしたいという想いがあるからです。
引きこもりから脱出した方法は「一人暮らし」だった
1人暮らしを始めたことがきっかけとなり、ようやく引きこもり状態から脱出できました。
引きこもっている中で感じていたのは、環境を変えなければ、引きこもりから脱出するのは難しい、ということでした。
だから、すぐに一人暮らしをして、新しい環境でやり直したいと思ったんです。そうしなければ、もう生きるのも辛い。限界でした。
母親に僕の考えを話しました。
すると、絶対にダメだと言われました。
お金を自分で稼いで自立しろ、と言われました。
悔しかったし、母親はいつも気持ちに無関心でした。
でも、あきらめませんでした。
いつもは話すらほどんどしない父に電話をして、さらに手紙も書いて、今は働けないけど、先にどうしても1人暮らしをしたいから、援助してくれるように、と説得しました。
甘えていると思われても、どうしようもないやつだと思われていいと覚悟しました。
今すぐには絶対に働けないし、親が普通に働いている家では、何かあった時の社会的な保障も受けられない。身動きがとれない。
平均的な引っ越し資金と2か月分の生活費を援助してほしいと頼みました。それからは自分でバイトをして生きていくと伝えました。
そして、最終的に了承してもらいました。
僕が無理やり親に意見を通させたのもこれが初めてでした。
正直、カッコ悪いです。情けないです。自分でバイトしてお金をためて、1人暮らしをするのが筋だろって思います。
こんな甘ったれた考えが通る訳がないとか、思われるかもしれません。そんなやつはどこに行ってもだめだと思われても仕方ないです。
でも、格好悪くても、結果として環境を変えて、新しいスタートが切る道はそれしかありませんでした。
引きこもりから脱出するための新しい一歩になるなら、もうすべてを投げ捨ててでも、無理やりやるしかないんだって腹をくくりました。
だれにも、理解されないし、お金も人脈も何もないんだから仕方ないって。
かっこ悪いです。結局親に頼ったんです。でも、それで結果として正社員として就職することにも繋がりました。
格好悪くても、結果のために行動してよかったと思っています。
理解してくれない親でも、感謝はしているんです。
そういう気持ちになれるのも、あの時に親にむちゃくちゃな要望をして、押し切って、無理やりでも前に進んだからだと思っています。
まとめ
引きこもりの辛さは、周りにはなかなか理解してもらえません。
理解してもらえないのは仕方ないとしても、引きこもりに対する周囲の目線は冷たくて、悲しいです。
本当に辛い時に、最も理解してほしかった家族から言ってほしかった言葉は、
- 「無理しなくていいよ」
- 「ゆっくりでいいから」
- 「疲れたら休もうよ」
です。そんな一言でもあれば、それだけでも僕は救われたと思います。
毎日一緒にいる家族にこそ、そう言ってほしかった。しかし、それはもう叶いませんでした。
引きこもりたくて引きこもっている人なんて、きっといないんです。
外に出た方が楽しいし、お金も手に入るし、幸せに決まってる。それができたらそうしてる。
でも、今はそれがどうしてもできない状況だから、結果として引きこもっている。
引きこもりの人の多くは、普通の人が想像できないくらい、めちゃくちゃ苦しんでいるんです。
理解してもらうよりも、わがままになって引きこもりから脱出する方が簡単だった
引きこもりのつらさを周りに理解してもらうことは諦めた方が良いと思います。僕はもう諦めました。
他人の理解を得るよりも、無理矢理でも引きこもりから脱出する方がずっとずっと簡単なんです。
他人を変えることより、自分を変える方がずっとハードルは低いんです。
無理矢理でも良いから、まずは第一歩をスタートさせてみたら、変わることがあります。
実際に引きこもりを経験したからこそ、引きこもりの時の辛い気持ちが痛いくらい分かります。
引きこもりの辛さに寄り添うことができる場所は限られています。
この記事がそういう場所になったらうれしいです。
人間の5人に1人は、繊細な気質を持つHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)。
日本では「繊細さん」とも呼ばれます。
HSPには下記のような特徴があると言われます。
- 5感(まぶしさ、物音、臭い)の感度が鋭い
- 人は好きだけど、長時間一緒にいると疲れる
- 音楽や芸術に心を惹かれる
- 病気じゃないけど、繊細さを人に理解されにくい
HSPについて詳しく知りたいと思ったなら
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いま、心がすごく辛くてこのブログに辿り着きました。ぼくも引きこもりです。もう9年ほど経ちます。誰にも理解されず、話しても、口論にしかならなかったです。ぼくはすごくすごく、苦しんでいるのに。
でも、誰かに、わかってもらうのは、このブログを読んであらためて、諦めました。
心療内科に行き、体調を整えて、自分が働けるようにやっていこうと思いました。