大谷翔平から学ぶ 夢を叶えるための8つのポイント

現在メジャーリーグでプレーしている大谷選手。夢の舞台で輝く彼の野球人生は、実は決して順風満帆ではありませんでした。

「メジャーリーグで殿堂入りする」という途方もない夢を叶えるために、大谷選手はメジャーへ旅立ちました。そして、現在は二刀流を貫いてメジャーで大活躍しています。そこで僕が気になったのは、

一体彼はどのようにして大きな夢を掴んだのか

ということ。

今回は、大谷選手の経歴やエピソードを通して学ぶ、成功の秘訣を8つのポイントでまとめてみました。

では、早速どうぞ!(※以下、表記の無い引用元は全てwikipedia:大谷翔平より)

1.自分の意見を持っている

大谷選手は、インタビューでも会見でも、しっかりと自分の意見を言います。

大谷選手が高校を卒業して、プロ野球かメジャーか選ぶ時も「マイナーからでもメジャーに行きたい」という意見を持っていました。

「マイナーからのスタートになると思うけれども、メジャーリーグに挑戦したい気持ちでいる。入学当初からの夢だった。若い内に行きたい思いがあった。日本のプロにも憧れはあったが、メジャーへの憧れの方が強かった」

結局は、日本ハムでまずはプレーする道を選んだ訳ですが、それは彼のもう一つの成功法則が影響していると思います。それは、後ほど。

かつてメジャーリーグで活躍した野茂英雄選手も、当時の日本で、所属したチームの監督からフォームを修正するように言われたため、プロ野球からメジャーへ渡ったという話があります。

そこに共通するのは、自分の考えと意見を持っていることではないでしょうか。

2.大きな目標を掲げている

おそらく中学、高校時代から自分の夢ついて話していたようです。思春期を迎えて周りの目も気になる歳頃で、自分の夢を、しかも途方もないような目標を立てて、人に語ることができるってすごいことです。そんな大谷選手の夢に周りの人も動かされ、彼の夢のために、応援する人が増えていたったのではないでしょうか。

大谷選手は、中学生の頃からすでに、具体的な言葉にして、目標を掲げていました。

菊池雄星に憧れ、彼の出身校の花巻東高校へ進学。「日本一になる」「日本人最速となる163km/hを記録する」「ドラフトで菊池雄星を越える8球団から1位指名を受ける選手になる」事を目標に掲げた。

3.目的のために意見を変えられる柔軟性

大谷選手が高校を卒業して、プロ野球かメジャーか選ぶ時、「マイナーからでもメジャーに行きたい」という意見を持っていました。

しかし、当時の栗山監督と両親とも交えた交渉のあと、大谷選手は日本ハムを選びました。

『大谷翔平君 夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~』と題された30ページに及ぶ資料が提示され、高校卒業後直接アメリカへ渡った韓国の野球選手がメジャーリーグで活躍しているケースが少ない点や、過酷なマイナーリーグの現状、母国のプロリーグで実力をつけた選手の方がメジャーリーグで活躍できる確率が高い点などが説明された。更にダルビッシュ有が使用していた背番号11、投手と打者の「二刀流」育成プラン等を提示され、12月9日に日本ハム入団を表明

当初、日ハムからのドラフト1位を蹴ってもメジャーに行く覚悟だった大谷選手。しかし、そんな逸材をいきなりメジャーに行かせてなるものかという球団が栗山監督率いる日本ハムファイターズでした。

おそらく、その資料に目を通した上で、二刀流を貫くのために、そしてメジャーへ行く可能性を高めるために、大きな夢を叶えるために、日本ハムファイターズという選択の方が良いと決断し、意見を変えたのです。意見を変えるのは、一見恥ずかしいことのように感じます。でも、大谷選手は、自分の夢のためには、意見も変えられるという柔軟性を持っているのです。

ここで、再度確認しておきたいのは、大谷選手がまず自分の意見として「メジャーに行きたい」と言っていたことです。

もし、大谷選手がメジャーに行くと言わなければ、ファイターズは大谷選手のために資料を用意することもなければ、日本で二刀流を続けられる体制を整えることも無かった。意見を言ったからこそ、全てが始まっているんです。

また、最近のメジャーでの試合後のインタビューでも、彼の柔軟性を伺い知ることができます。

「メジャーリーグに適応するために調整してきたこと、周りに言われて変えてきたことはありますか?」

という質問に対して

「良いところはそのまま残して、修正すべきところは、コーチや周りと相談しながら、良くなるように変えていく」

というコメント。ここからも、大谷選手は素直で柔軟な発想を持った人なんだと分かります。

4.夢を実現する目標シート

大谷選手は目標シートというものを書いてきました。目標シートを作って、夢や目標を実現するために必要なことを具体的にする。そしてその実現のために考え、計画し、行動する、その道しるべにしてきたのです。

目標シート大谷

出典:スポーツ日本

この目標シートは、花巻東高校時代の恩師である佐々木 洋監督からの教えで作られたものだそうです。

「日本人投手として最初のアメリカ野球殿堂入りを果たしたい。メジャーで殿堂入りする為にはメジャーで最低15年はやらないといけないという話なので、30歳近くになってからメジャーに挑戦するのは遅いと思う」

かなり夢について具体的にイメージしていないと、高校生でここまでの意見は言えません。目標シートがあったからこそ、彼は自分の夢に対して、具体的に何をしたらいいのかが分かっていたのかもしれません。

【参考】BOBY&MENTAL:目標達成用紙エクセルダウンロード 大谷も使用したシート

【参考】目標計画:大谷翔平が高校時代に立てた目標達成シートがビジネスでも使える!

5.批判に負けない

実は、大谷選手はこれまで数々の厳しい意見を受けてきました。プロ野球で二刀流でプレーしたいと言った時には『日本のプロ野球をなめるな』という批判も出ました。

それでも腐らずに、努力を積み重ねてきたからこそ、今の大谷選手があるのだと思います。

野村克也氏の見解

当初は二刀流起用について「日本プロ野球界を舐めるな」と言った旨の意見を持っていたが、その後の活躍を見て翻意。二刀流を続ける事を勧めており、「あれだけのバッティングとピッチングが出来るなら、大賛成。今まで誰もやった事がない事をやるというのも、魅力である。『10年に1人の逸材』と呼ばれる者はよくいるが、プロ野球80年の歴史で、あんな選手は初めてだろう」と語っていた。

6.逆境を乗り越える

高校時代の大谷選手は甲子園に出場経験はありますが、先輩である菊池雄星選手ほどの活躍はできませんでした。そして、大きな挫折も味わっています。

3年の第84回選抜高等学校野球大会では初戦の大阪桐蔭高校戦は、11四死球で9失点と大敗。

投手として甲子園の大舞台で11四球、9失点。相手が大阪桐蔭高校と言えども、メジャー志望の大谷選手が、日本の高校野球でこれほどの挫折を味わっているのです。

三年生夏に160km/hを計測して注目を浴びましたが甲子園出場を果たすことはできませんでした。大谷翔平の甲子園通算成績ですが、投手としては2試合に登板し14回と1/3を投げて自責点6、通算の防御率は3.77でした。打者としては6打数2安打で通算打率.333を記録しました。実はあまり、大谷翔平は甲子園通算成績だけで言えば特筆した数字を残すことができなかったのです。

【引用元】大谷翔平の甲子園での全成績を暴露!!

全国高校野球選手権岩手県大会準決勝では高校生記録となる球速160km/時を記録します。彼が始めて全国から大々的に注目されたのは、この時からでした。高校時代はケガにも苦しんだようですが、それでも逆境を乗り越えてきました。

また、2018年エンゼルス入団当初、マイナーリーグレベルの相手に打ち込まれていたため、現地の記者からはかなり厳しい評価を下されました。

パッサン記者が8人のメジャーリーグのスカウトに大谷についての評価を聞くと、彼らの答えは似通っていたという。多くのスカウトが大谷のパワーとスピードは認めているが、現段階ではメジャーリーガーの内角の直球に対応できない。メジャー級の打者になるためには少なくとも500打席はマイナーリーグで経験を積むべきだという見方をしているという。
【引用】ベースボールチャンネル

慣れない環境で疲れもあってか、調整を続けていた大谷選手。メジャーが開幕し、蓋を開けてみれば、二刀流が大炸裂する3戦連発のホームランを記録しました。逆境を乗り越えるとはまさにこのことではないでしょうか?

エンゼルス13-9アスレチックス(6日、アナハイム)米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平投手(23)がアスレチックス戦に「8番・DH」で先発出場し、0-6の二回に3戦連発となる3号ソロ本塁打を放つなど4打数1安打2打点の活躍で、13-9の逆転勝利に貢献した。
【引用】サンスポ 特集:大谷翔平

 

7.原点は”楽しい”という気持ち

大谷選手は、トレーニングの際、練習メニューを自分で決めて一番最後まで残って取り組むそうです。取材などがあった日には、夜間に行うことも。では、そんな大谷選手は小学生の頃からずっとそうだったのかというと、そうでもないみたいです。

そんなにガツガツ練習していたわけではありません。シニアの練習は土日と水、木曜だけ。それ以外の日は普通に友達と遊んだりしていて、自主練習をすることはなかったです。今は好きで練習していますけど。中学時代もやればよかった(笑)。

【引用】大谷・筒香…一流野球選手はどう生まれた? 原点に迫る

シニアとは、中学生の地域の野球チームのことでしょう。中学時代を見てみると確かにガツガツではありませんね。もっと毎日練習しているような部活動はいっぱいあるのではないでしょうか?次に大谷選手の原点が見えてきます。

野球を嫌いになったことはないです。ずっと好き。その中でも野球を始めた小学校のころが一番楽しかった。水泳も習っていたから、平日のうち2、3日は水泳、土日が野球という感じでした。中学時代は勝てなかったので楽しくなかった。高校2年はけがで投げられず、つまらなかった。3年の春は甲子園に出ましたが、それでも野球を始めた頃の方がおもしろかったかな。一番うまくなる時期だし、勝敗を気にせず、単純に楽しんでいましたから。「楽しい」って大事だと思います。今も、単純に野球が楽しいです。

【引用】大谷・筒香…一流野球選手はどう生まれた? 原点に迫る

始めは上手くなるのが”楽しい”と感じる時期。それが、中学、高校も小学生の頃のような楽しさはなかったけど続けてきて、活躍もしてきた。大きなプレッシャーのある舞台で活躍する今も単純に野球が楽しいという大谷選手。

一般的にアスリートは幼少期から厳しいエリート指導を受けて努力と根性で育っていくようなイメージがありました。しかし、始めに”楽しい”と思えたことが、大谷選手の原点だった。

“楽しいって大切だと思います”

という彼の言葉に、その全てが表れている気がします。

8.周囲から応援されている

大谷選手は色々な人のサポートによって、夢をより現実に近づけられてきたようです。まずは、両親。社会人野球経験があり、所属していたリトルリーグのコーチをしていたお父さん。国体に出場経験のあるバドミントン選手だったお母さん。

野球が楽しいと思えたのも、ご両親の指導と愛があったからでしょう。

そして、花巻東高校で野球と人生を教わった佐々木監督。日本ハムで二刀流を貫くために力を尽くし、厳しくも信頼してくれた栗山監督。

日本ハムだけでなく、日本中、いや世界中の大谷ファン等、様々な人に支えられながら、チャンスを掴んできました。夢を追いかけ続けるその姿が、多くの人を熱狂させ、元気にする。この僕も大谷選手が活躍する姿に勇気をもらっています。

まとめ

日本人メジャーリーガーとして今後もさらなる活躍が期待される大谷選手。夢を叶える道のりは決して簡単なものではなかった。常にケガやスランプと隣り合わせの厳しい野球の世界。

それでも、小学生の頃から15年以上野球を続けてきた。ただ続けるだけじゃない。自分の考えや意見を持ち、大きな夢を掲げ、それを人に話すことができる。失敗、挫折、批判を乗り越え、時に意見を変える柔軟性もある。

なぜそんなに頑張れるのだろうか。その原点は純粋に野球が”楽しい”という気持ち。そんな姿を見ていると、周りも楽しくなってしまうし、応援したいと思ってしまう。

それが、大谷選手のこれまでの成功の一番の要因だったのではないでしょうか。

今後も大谷選手の活躍に目が離せません。

あたなも目標シートを作ってみませんか?

ありがとうございました。

以上です。
byミケ男

2018年6月現在、大谷選手はケガで治療に専念中です。靭帯という野球選手にとってもっとも大切な部分の故障にアメリカでも日本でも衝撃が走りました。だた、きっと大谷選手ならば、またメジャーリーグのマウンドに戻ってきてくれるはず。そう信じて、見守り続けたいと思います。